<第5回 「勝利したのは、9条だ!」 2017年10月27日 関西学院大学法学部教授 長岡徹>

 

 自民党大勝なのに、安倍首相の表情がさえない、なぜなんだろう?

 

破顔一笑、はしゃぎすぎると、またぞろ国民の反発を買うので、自重しているのだ、といわれる。僕は、そうじゃないと思う。安倍首相の思い描いた改憲戦略に、暗雲が漂いはじめたからだ。2つの点で。

 

 小池都知事が「希望」を立ち上げたとき、自民党首脳は「しまった、解散は早まったか」と思ったようだ。しかし、その小池さんが「安保法制容認、9条改正」を掲げて仲間を募り始めたとき、安倍首相は計算したに違いない。「小池新党が野党第1党になれば、9条改正は確実に進む、小池さん(政権を脅かさない程度に)がんばれ」と。けれども小池新党は逆風に見舞われ失速。代わって「安保法制反対、9条堅持」を掲げた枝野新党が野党第1党だ。それに小池新党は、この先どうなるか不透明だ。野党を巻き込まないと進まない改憲の道筋は、途端に見通せなくなってしまった。維新も弱体化したしなぁー、さえないなぁー。

 

 もうひとつ、小池新党が失速した理由が重要だ。「排除します」が原因だ、とマスコミはいう。そうだろうか。「安保法制容認、9条改正容認」の踏み絵を踏ませたことが、本当の原因だ。それじゃ自民党と変わらないじゃないか、野党結集の本筋は「安保法制反対、立憲主義を守れ、9条守ろう」だ、と思った草の根の国民が、一気に風向きを変え、暴風となって枝野新党を押し上げた。9条に手を付けたときに発揮される草の根の国民の底力を、安倍首相は見せつけられた思いがしたに違いない。9条改憲国民投票、大丈夫なのかなぁー、こわいなぁー。

 

 だから僕は思う。17年総選挙、勝利したのは9条だ!

 

  

<第4回 「いったい何のために生きているんだろう・・・?」 2017年5月10日 弁護士 川元志穂

 

 「いったい何のために生きているんだろう・・・?」、真剣にそう思ってしまうくらい苦しかったり、すべてがつまらなくて無気力になったりしたことはありませんか?私は、小さいころから大人になるまで、かなり長い間、そんなトンネルの中にいるような気持ちで過ごしていました。そこからぬけ出す方法を探しつづけて、見つけた答えは、「外から評価されるためではなく、内側から幸せだなぁと実感するために生きている。そして、頭でこうすべきああすべきと考えるのではなく、心で感じるままに自由に動くことを自分に許すと、内側から自然に幸せだなぁという思いが湧いてくる」ということでした。お腹が空いたなぁと感じたときにお団子を1本ほおばったり、きれいなものが見たいなぁと感じたときにお花を1本買ったり、めいっ子がかわいいなぁと感じたときに抱きしめたり・・・感じるままに素直になれば、特別なことをしなくても、しみじみ「幸せだなぁ。生きててよかった」という思いが湧いてきます。まぁ、当たり前なんですけど、物心ついた頃から周りの目を気にするのが習い性になっていた私には、大発見でした。

 

 そんな私にとって、今の憲法は、まさに生きる意味のど真ん中を守ってくれる大切な存在。根本原理を定めているとされる憲法13条は、「すべて国民は個人として尊重される」「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定します。そう!個人として自由に「幸せだなぁ」の実感を追求するために生きてるの!決して、国家のために役立って、よくやったと表彰されるために生きているのではないのです。

 

 ところが、今、この憲法を根本から変えようとしたり、ないがしろにしたりして、「国家」のために個人の自由を制限しようとする動きが強まっています。自民党改憲草案、特定秘密保護法、新安保法制、共謀罪法案などなど・・・私にとっては、生きる意味を否定されるような感じがします。

 

 でも、一度ぬけ出したトンネルには、もう戻る気はありません。せっかく生まれてきたのですから、生きる意味を守るために、できる限りのことをしたいと思っています。

 

 

<第3回 「立憲主義と平和」 2017年1月20日 弁護士 亀若 浩幸>

 

憲法のない時代には,権力を握った者が,自由に政治を行うことができました。権力者が,「税金を上げよ」と言えば国民に過酷な税金がかけられ,「戦争に行け」と言えば,国民が兵隊にとられるのが当たり前の世の中だったのです。

権力を握っている者が国民全体のことを考える良い人であれば,別に問題がないようにも思えます。しかし,実際には,権力を握った者は,自分に都合が良いように,国民を支配しようとしてしまいます。そして,古今東西,権力は必ず腐敗してしまうものなのです。

 

そこで,人類は,長い時間をかけて,憲法というものによって権力を制限するという方法を考え出しました。憲法というルールを作って,国を統治する者の力を制限し,国民の人権を守っていこうという方法です。これが,立憲主義の意味です。

だからこそ,日本国憲法第99条では,国務大臣,国会議員,裁判官等にはこの憲法を尊重し擁護する義務があると明記されている一方,国民にはその様な義務を課していません。

 

また,日本国憲法は,徹底した平和主義を掲げています。言うまでもなく,戦争とは最大の人権侵害です。そのことは戦争を経験した私たちの先輩方が身をもって知っています。だからこそ,日本国憲法は,国民が,政府に対し,戦争による人権侵害を許さないことを明言しているのです。

 

ところが,現在の政府は,憲法違反を平然と行うばかりか,統治する側に都合がよい内容に憲法を変えることを目論んでいます。実は現在,国民にとって非常に危険な状態が続いているのです。

全国各地で,多くの学者や弁護士が,各々の政治的な立場を超えて抗議の声を上げていますが,立憲主義という近代国家の基本原則が破壊されることの危険を訴えているのです。 

 

私たちにできることは,まだあります。私たち国民には,知る権利もあれば,意見を言う自由があります。選挙の際には,自由に投票する権利もあります。憲法改正には,国民投票が必要ですから,もし,憲法が改悪されるようなおそれがあれば,それに反対することもできるのです。 

 

これまでの日本では当たり前であった,立憲主義と平和の大切さを改めて考え,守り続けたいと考えています。

 

 

 

<第2回 「憲法と誕生日」 2016年9月28日 弁護士 津久井 進>

 

 わたしと憲法は切っても切れないご縁があります。なぜなら,私が生まれたのは5月3日の憲法記念日だからです。当然,同じ誕生日を持つ憲法には小さいころから親近感を持っていました。子どものころ“ゴミの日だ”などと悪口を言われたこともありますが,幼いなりに最高の法の日という誇りを感じていたような気がします。

 

 ちなみに義母の誕生日は11月3日の文化の日。この日は“平和と文化を重視した日本国憲法が公布されたことを記念して「自由と平和を愛し文化をすすめる」国民の祝日に定めた”と規定されています。

 

 つまり,わたしたちの国は年に2回も憲法の存在を祝っている国なのです。となれば,とても憲法を大事にする国なんだ!ということになるはずです。

 

 ところが,悲しいことに,今や憲法は攻撃の的です。改憲論者の中には“ゴミ”のように扱うかのごとき発言をする方もいます。本当に悲しいことです。

 

 憲法は70歳になりますが,「普遍と永遠」を謳う長寿であるべき日本国憲法にとってみれば,また,世界的にみても憲法の平均余命はとても長いのですから,まだまだ壮年,いや思春期といったところでしょう。思春期には思い悩むことも多いかも知れませんが,肉体(武力)の増強に走るのではなく,むしろ心と頭脳をしっかり鍛えて,真の「理想の平和」を実現するために頑張ってもらいたいと心の底から思います。

 

 私は,「誕生日」というイベントが大好きです。なぜかというと,一人ひとりが主人公になれるイベントだからです。憲法って,ひとことで言えば「一人ひとりを大事にする法律」です。一人ひとりの尊厳を大事にして,その幸せを求めていこうという法典です。だから「誕生日祝い」って,とってもとっても憲法的なイベントだと思うのです。

 

 憲法は危機にこそ真価を発揮すべき存在です。今がまさに正念場です。わたしは,憲法と共に,この誕生日の誇りを守るため,「自由と平和を愛し文化をすすめる社会の実現」に向けて歩んでいくつもりです。

 

 

< 第1回 「はじめの一歩。」 2016年9月22日 元弁護士 敏森 彩>

 

みなさん、こんにちは。

昨年、西宮市内で事務所を開いていたご縁で、

この「立憲主義と平和を守る西宮の会」に入会させていただきました、弁護士の敏森と申します。

 

さて、当会ではこれから、もっと色々な方々に憲法と平和について関心を持ってもらいたいと考え、

そのためのきっかけづくりとして、リレーエッセイを掲載していくことになりました。 

ひょんなことから私のような者がトップバッターを務めることになり、とても緊張していますが、

これから当会共々、末永くお付き合いいただけましたら嬉しく思います。

 

さて、私自身のことを少しお話させていただきます。 

数年前まで、私は政治にあまり関心のない、いわゆる「無関心層」の中の一員でした。

文学少女(自称)だった私が憲法に初めて触れたのも20代半ばでロースクールに入ってからでした。 

 

「すべて国民は、個人として尊重される。(13条)」

それまで人と違っていることに引け目を感じがちだった私は、

今の憲法を形づくっている、みんな違ってみんないい、という世界観に触れ、

あっという間に憲法が大好きになりました。

 

ところが・・・司法修習生になったある日、

「憲法が好きなら、これは読んでみ。読まなあかんよ。」とある弁護士の先生が

私になにやら冊子を渡してくださいました。

 

なになに・・

「天皇は、日本国の元首であり」・・「内閣総理大臣を最高司令官とする国防軍を保持する」

「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公共及び公の秩序に反してはならない」

「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」

ですって?? 

 

なにこれ、憲法は権力者を縛るきまりごとのはずなのに、

国民に義務を課すなんて、戦時中みたい。

冗談はやめて下さいよ、虚○新聞ですか?

「いやそれ、自民党の改憲草案だから。」

冷静に答える先生の前で驚きのあまり、しばらく言葉を失いました。

悪夢のような、本当の話です。

 

私だって、お隣の国の船が何度も日本の海に入ってきたり、

何度もミサイルが飛んで来たりしたら不安にもなります。

何となく、国民の義務を受け入れて、しっかりした軍隊を持ち、

権力者にまとめてもらわないといけないんじゃないか、、という気持ちにもなるのも

とてもよく分かります。

 

でも、みんなが不安に駆られて権力者のいうとおりに権力を任せたら、

あっという間に独裁のはじまり、権力者の思うツボです。

権力者に何でもお任せにするんじゃなくて、

本当に「お任せ」が必要なのか、国民が一つ一つ監視していかなければ。

そのために、国民の側から権力者をしばるルールを一生懸命、定めたのが今の憲法です。

 

今の世の中、不安になることはいっぱいあります。

でも、そんなに権力者にお任せをして本当に大丈夫なんでしょうか?

 

これからも、たくさん議論をしていきましょう。 

このリレーエッセイがそのためのきっかけの一つになれば幸いです。